何か書きたくなった

 よく分からないけど入試まで一週間を切った。本来ならそちらに集中したいけどよく分からないもやもやを抱えているので、つらつらと不安と希望を書いて気持ちを発散していきたい。もともとここはポエムの書き捨て場だし、気にすることはなかろう。もし熱心に読む人がいたら申し訳ない。

 

どうしたいのか?

 人生の生きにくさは、自分で自分の道を決めなければならないだるさと、それでいて自分の決定というものが環境に規定されていることに通じると思う。決定的な手続きにより幸せが保証されるわけでもなく、人生はいつだってハードモードにできている。誰かの人生を見て不安になったり、一方では自分の方がましだから俺はもっと頑張る必要があるなどと自らを責めたりする。しかし人生は一回きり。周りを見ている暇はない。じゃあ、自分はどうしたいのか?
 どうどうめぐりをいつだって抜けられない。自分はどうしたいのか?という問いに対する最適な答えはいつだって、「お金が十分にもらえて人権の保証された環境で一生を送りたい」みたいな感じになる。5000兆円欲しい!というやつだ。でも、そんなに話はうまくない。自分には実力があるわけでもなく、キャリアがあるわけでもなく、影響力もなく、コネもない。こんなド田舎ではバイトに通うまでの道のりで人生の大半を消費してしまうし、僕はそもそもステップを踏んで社会に復帰していく必要がある。大学に入る。大学にきちんと通う。テストを受ける。これらすべて当たり前のことが、東京にいたころにはできなかった。いつまでもその頃の暗い渦が僕を眺めていて、親もそのことを僕に突きつけてくる。一度潰れたものは、二度と潰れないという保証や証明が不可能になる。人生はいつだってハードモードにできている。どうしたいのか?その問いの前に解決しなければならないことは山ほどあり、僕はそれに対する答えを行動でしか示せないし、もしかしたら一生示せないかもしれない。

 

後悔

 いつからこんなになってしまったんだろう。あきらかに道を間違えた瞬間がいつかあると仮定して自分の人生をなぞっていくと、いくつもの分岐を間違えていることに気づく。それは単体では決定的ではなく、積み重なっていつの間にか引き返せなくなったという方が正しい。後悔は今のところない気がするけど、こうして幾度も過去を思い出して悲しくなってしまうのは、傍から見れば後悔そのものだろう。つまりは強がりなんだろうか。
 道を修正することや、新しく道を切り開いてジャンプするにはエネルギーがいる。それは一般に希望と呼ばれていて、僕はずっとずっとそれを消費して前に進む力に変換してきた。ある程度楽天的なら無限にそのエネルギーが生み出せるけど、もともと考えたがりで悲観しがちな僕は、例えばこんな気圧の低い日になるとすぐに希望がなくなってしまう。幸い、東京にいたころと違い、暗く深い渦に飲み込まれることはなくなったけれど、やっぱり能率は下がるしなかなか思うように動けなくなる。鉛のベストを着ているようにやる気が出ずぼーっとしてしまう。一体こんなんで本当に社会に戻れるのか?大丈夫なのか?その問いに対する答えは行動でしか示せなくて、行動で示せなくなった僕はただただ悲しくなる。どこで道を間違えてしまったんだろうかと。

 

それから

 これからどうなるんだろう。人生はよく分からない。よく分からない闇の中を手探りで進み、ときどき自分がどれだけ進めたのか、その事実に押しつぶされそうになっては一休みしてまた立ち上がる。一体いつまで立ち上がるだけの力が残っているんだろう、立ち上がれなくなった時、それは何年もの時間を消費する。そしてそのとき、僕は生きていけるんだろうか。よく分からない人生の先端の先が楽しみになるのは、今の生活が、環境が、その安全が保証されているときだ。いつかは、いつかは僕にもそういう日がやってくるのだろうか。自分で自分の将来が楽しみになるような、そんな環境をつかみ取れるようになるんだろうか。そんな日が来たらいいなぁ、いいなぁと切に願う。

なんかもやもやが輪郭を持ち出して、捨てられそうな形をしてきた。やはり文章は偉大だ。悩みやもやもやは書き出して忘れて音楽聴いて踊って寝ればよい。そうすれば、また明日から命を燃やして頑張れる。